行政書士 森本 由紀(もりもと ゆき)

 

日本行政書士連合会第12301901号
大阪府行政書士会会員
AFP(日本FP協会認定)
日本学生支援機構認定スカラシップ・アドバイザー(平成29年9月認定)
一般社団法人夫婦問題レスキュー隊認定カウンセラー

【略 歴】
1968年愛媛県松山市生まれ
愛媛県立松山東高等学校卒業
神戸大学法学部卒業

大学卒業後、鉄鋼メーカーに総合職で就職
その後、特許事務所、複数の法律事務所での事務経験を経て、2012年行政書士開業
夫婦カウンセラー、ファイナンシャルプランナーとしても活躍中。

1児の母で趣味はピアノ
(アマチュアピアノサークル「KAP関西アマチュアピアノ倶楽部」代表)

 

 

【ゆらこヒストリー】

●子ども時代~高校生まで

1968年、両親とも教員という家庭に、長女として誕生。

高校までは松山市郊外の伊予郡松前町で育ちました。

どちらかというとおとなしい子どもでしたが、人前で歌ったりするのが好きな目立ちたがり屋の面もありました。

また、幼い頃から姉御肌で、3つ年下の妹や、さらに下のいとこたちの面倒もよくみていました。

3歳からピアノをやっていた影響で音楽に親しみ、小学校時代は音楽クラブや児童合唱団で活動、中学時代は合唱コンクールの伴奏などをしました。

高校は地元の進学校へ。

高校時代は、女子の仲良しグループで、松山市の繁華街をうろつくなどして、よく遊びました。

 

●大学時代

国立の神戸大学法学部に進学。

四国から関西に出てきて一人暮らしを始めました。

当時の四国は、大阪よりも全然遅れた田舎でしたから、最初は都会での生活に大きなカルチャーショックを受けました。

ちなみに、法学部に入ったのは、文学部とかよりもかっこいいしツブシがきくと思ったからです。

当時はバブル真っ只中。

大学時代はあまり勉強はせず、ダラダラと遊び呆けていました。

書店員、百貨店員、家庭教師、模擬試験監督、電話受付、アンケート調査など、アルバイトもたくさんしましたが、これといった将来の目標もなく、時間を無駄にした時期でした。

 

●自分探しの20代

就職活動では関西の大手企業をたくさん受けましたが、片っ端から落ちまくり、唯一内定をもらえた鉄鋼会社に総合職で就職。

けれど、「自分のやりたいことと何か違う」と、この会社をわずか1年で退職してしまいます。

それから、私の自分探しが始まりました。

 

鉄鋼会社退職後は大阪市内の特許事務所に転職。

英語が比較的得意だったので、事務員として商標を扱う部署で海外案件を専門に担当しました。

所員数百人規模の大阪でも屈指の大手事務所に勤めていたので、OL生活も満喫。

毎日残業で忙しかったけれど、会社のレクレーションに参加したり、友達と遊びに行ったり、楽しく過ごしていました。

 

けれど、ここでも「OLのまま歳とっても大丈夫なんだろうか・・・」との思いが頭をもたげます。

ちなみに、この頃は自分が結婚するとは全く思っていませんでしたから、老後の心配ばかりしていました。

そして、何か資格が取りたい、できれば大学時代に学んだ法律を活かした仕事がしたいと考え、司法書士試験を目指すことを決意します。

 

28歳で特許事務所を退職。

それから1年は、昼間は勉強、夜はLECに通い、お金がなくなるとアルバイトをしながら生活をつなぐという毎日でした。

1年後に受けた司法書士試験は失敗。

司法書士試験に未練はありましたが、生活費が底をつくようになり、やはり仕事を探すことにします。

けれど、中途半端な経歴しかない30歳手前の女性を雇ってくれるところはありません。

パチンコ屋や電話オペレーターのバイト、単発の派遣の仕事でなんとか食いつなぎながら、延々就職活動を続ける日々でした。

 

「もうお金もないし、自分はこのままどうなるんだろう…」と思っていたとき、初めて派遣で長期の仕事の紹介があり、それが法律事務所の事務員の仕事でした。

もう間もなく30歳を迎えようというときでしたが、これが私にとっての転機になりました。

これまで勉強してきた民法や民事手続法が初めて実務とつながったことで、仕事の面白さにも目覚め、「やはり法律関係の仕事がしたい!」と強く思うようになったのです。

 

●子育てに無我夢中の30代

31歳のときに以前のアルバイト先で知り合った男性と結婚。

この頃には、法律事務所の正職員として働くようになっていました。

結婚当初は子どもはいらないと思っていたので、共働きしながら、休みには夫婦でドライブしたりキャンプに行ったりと、よく遊びました。

しかし、33歳の頃、なぜか突然「子どもを産んだ方がよいのではないか…」という思いにかられるようになり、すぐに妊娠。

体力に自信がなかったことや出産後子供を見てもらう人がいないことなどから、一旦職場を去ることを決意。

専業主婦になりました。

 

専業主婦時代は、普通の子育てに飽き足らず、自然育児に没頭します。

母乳育児支援団体の「ラ・レーチェ・リーグ」や「NPO法人自然育児友の会」、幕内秀夫氏の「学校給食と子どもの健康を考える会」などの活動にも参加していました。

 

子育ては大変でしたが、たくさん仲間ができた時期でした。

一方で、親の病気など、辛いこともいろいろありました。

自分を見失わないよう、子育てに没頭していたのではないかと思います。

仕事復帰についてはタイミングを見計らっていましたが、子どもが幼稚園のときに法律事務所の仕事に復帰しました。

 

●40代で離婚・行政書士開業

40代になってからも、子育てと仕事で忙しい毎日でした。

法律事務所でパートで働きながら、正社員の仕事も探しましたが、ここでも惨敗。

労働市場における自分の価値のなさを痛感し、副業としてウェブライターの仕事を始め、収入を増やすようにしました。

また、高校以来中断していたピアノを再開し、自分でピアノサークルの運営も始め、たくさんのピアノ仲間ができました。

 

43歳のとき、突然の離婚危機。

私にとっては全く予期していなかったことでしたし、人生で最も辛い経験でした。

そして、子どもを連れて、離婚。

それと同時に、私は行政書士として開業する決意をします。

 

ちなみに、行政書士の資格は、30代の初めに「何か履歴書に書ける資格が欲しい。」と思って取っていました。

けれど、周辺業界にいて、行政書士が開業しても簡単に食べていけるような資格ではないことがわかっていましたから、自分で開業ということは考えたこともなかったのです。

「ゆらこさんならできる!」と背中を押してくれた友人に助けられ、なんとか開業することに成功しました。

その後、カウンセラー、ファイナンシャルプランナー(FP)の資格も取得して、離婚カウンセリングをメインに活動しています。